私の主張
私は、昭和34年、平の市街地に隣接しながら、自然環境に大変恵まれた地域である神谷に生まれました。我が家は農家だったこともあり、小さいころから農機具や工具に触れることで、機械工学に興味関心を持ち、福島高専で5年間学びました。卒業と同時に東京で就職しましたが、両親の勧めもあり地元に戻り再就職しました。同時に神谷青年会に入り、積極的に活動することで、地域活動の大切さを知ることとなりました。青年会活動を進めていく中、平地区会長として、青年リーダー研修の充実や市じゃんがら大会のホール開催からレンガ通りでの野外開催への変更など、新しい取組みを企画・実施することができました。これは、各種活動を通じて知り合った多くの仲間と一緒に作り上げた成果であり、同じ志を持った人と人がつながることの大切さを学んだ時でもありました。そして、その後のPTA活動にも生かされました。仕事の面でも多くの人に支えられて、平成元年に総合広告代理店を起業することができました。以来、新聞・ラジオ・テレビ広告などを通じ、地元に新たな芽が育つような視点で日々働いてまいりました。
しかし、2011年の3月、これまでの人生観を根底から変えてしまうような東日本大震災が起こりました。地震や津波による家屋の損壊、さらには原発事故による生活環境の大きな変化に戸惑いながらも、今、いわきのために自分がやれることは何かと自問自答し、2012年の市議会議員選挙に臨むことを決心しました。
震災からの復興は、地域コミュニティの活性化から始まるのではないか。そんな思いが、いわきそして地域が元気を取り戻す原点であり、私が何か動かなければならないと思ったきっかけです。家族はもちろんのこと隣組・行政区など、その地域に合ったいろいろな単位で子どもや高齢者の皆様をサポートし、お祭りや市民行事の時だけではなく、いつでも心のよりどころとして集会所や公民館などを常に開放して拠点にする。お茶飲み会・井戸端会議の復活で、子どもからお年寄りまで元気に仲良く過ごせる環境づくりを早急に実現しなければならないと感じました、また、近年の異常気象による大規模災害などを教訓に、防災の観点からも、集会所や公民館を防災センターの機能を持たせることにより、複合的に利用するなど有効活用し、さらに、いつ起こるかわからない自然災害に対応すべく備蓄倉庫の役割も果たせるように準備しておくことも重要だと考えます。
震災をきっかけに、もう一度、私たちが子供だった頃のような近所同士が助け合い、地域全体が連携して、高齢者やひとり暮らしの皆さんをしっかり地域でサポートしていく「共助」の仕組みづくりを再構築していく必要があることを訴え、議員としての活動をスタートさせていただきました。
現在、おかげさまで3期目の後半となりましたが、初心を忘れず地域に密着した生活インフラの整備やくらしの諸問題はもちろん、本市の産業振興・農林水産業そして観光や保健福祉さらには、医療などの様々な課題について、地域の皆様のご意見を参考にしながら、より一層しっかりと前に向かって進んでいきたいと思っています。
私は29歳で起業し、約35年の間、企業経営を通じて経済感覚を養ってまいりました。広報広聴においても、いわき市政の進展に係わるお手伝いができると考えています。地域が抱えている問題・課題をいわき市政への橋渡し役として届けること。また、本市が行っている様々な施策を市民の皆様に正確にお伝えすることも心掛けていきたいと思っています。
このような時代に私は、これからも皆様と心を寄せ合い・一緒に考え・一緒に汗をかき、一緒に働いて、いわき市のために全力で誠実に頑張ってまいります。
プロフィール
出身地 | 昭和34(1959)年9月13日 いわき市平上神谷生まれ |
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学 歴 | 国立福島工業高等専門学校(機械工学科 第14回卒業) |
職 歴 | 昭和55(1980)年 アルプス電気 株式会社 入社 昭和57(1982)年 株式会社 アドプラン 入社 昭和60(1985)年 ときわ会グループ株式会社 シグマ 入社 平成元(1989)年 総合広告代理店 株式会社 デップ 設立 |
略 歴 | いわき市平神谷青年会 会長 いわき市平青年連絡協議会 会長 いわき市青年連絡協議会 事務局長 いわき市立平第六小学校 PTA会長 いわき市立平第二中学校 PTA会長 いわき平青年会議所 会員 いわき東ライオンズクラブ 幹事 神谷地区体育協会 理事長 |
役 職 | 前 いわき市社会福祉審議会 委員 前 議会改革推進検討委員会 委員長 議会運営委員会 委員 市民生活常任委員会 委員 災害等対策推進特別委員会 委員 志帥会 幹事長 公益財団法人ときわ会 評議員 いわきバレーボール協会 参与 |
所 属 | 自由民主党 平支部 支部長 |